フェルマーの定理がワイルズによって解かれ、ペレルマンによってポアンカレ予想が解かれて、リーマン予想もいつか解かれるのかもしれない 。

解かれて欲しい。素数に法則性があったなんてことになれば、このネット社会の隠匿性は崩れ落ちてしまう。

数学には答えがあり、確率であったとしても、数式に表すことが出来る。

そして、ほとんどの場合、白黒付けることが出来る。

そして、その結論は、正しいか間違っているかしかない。

ところが、医療は正しいか、間違っているかが分からないことが多すぎる。

新しいことが分かれば、これまでのことが間違っていたことが証明される。

でもそれが未来永劫正しいとも限らない。

ところが、数学は、2000年前に正しいと証明されたことは、現代でも正しい。そして、未来永劫正しい。200年前に証明されたことでも同じである。

正しいことは、正しいこととして永遠に続いていく。

これって当たり前だけれど、ふしぎな魅力にあふれている。

人は死ぬ、これは正しいだろうし、おそらく未来永劫正しい、だろう。

でも今の治療が正しいかどうかは、もしかしたら、明日になったら間違いとなってしまう可能性がある。今が正しいから、これからも正しいとはならない。現在正しいと思われること、治療による改善の方が、害よりも大きいだろうと信じられているが、それが未来永劫正しい、とはこれまでの歴史からしてまったく分からない。

まさに一寸先は闇だ。




「仁」というTVドラマの最終回を見た。緑膿菌の敗血症が、一本のホスミシン(なぜか商品名)で改善するとは思えないが、エンディングロールの参考文献に、酒井シズ先生の名前があった。

 Wikiには、仁で医学的考証をしたとなっている。これは、知らなかった。そうであれば、最初から見たのに。

上で紹介した「病が語る日本史」を見ると、疫病と基金に苦しんできた我が国の歴史がよく分かる。

医学が平均寿命を伸ばしたなんていう人がいるが、栄養状態の改善、上下水道の発達によるものの方が影響は大きいだろう。
 
医学に正解はない、その時の最良の答えはあるだろうが、未来永劫正しいかは分からない。

あやふや、曖昧だから続けていけるのかもしれない。数学のように、絶対的なもの、経済に左右されない、環状にも左右されないものがあれば、私のような人間には耐えられないかもしれない。

だから数学にあこがれる。