巨大神殿は実在したのか〜古代・出雲大社のナゾ〜(NHK)
NOD(NHKオンデマンド)を見ていて、良い言葉に触れた。


なぜかは知らねどこちらで見れる。
 
建築家の西沢大良氏が、インタビューで答えてたものである。

「古典が一番斬新である」

と。ややもすると、現代文明が最良であって、昔の人の考え方は劣ったものだったと思いがちであるが、そうではないことが沢山ある。

法隆寺は、世界最古の木造建築物であるが、現代の建築技術で同じものが作れるかと言ったら、それは難しいであろう。

そうそう、このVTRの中には、宮大工の小川三夫氏も登場する。著作はいくつも読んだことがあるが、映像としては初めて拝見した。すこしうれしかった。かの西岡棟梁の唯一の内弟子である。





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「古典が一番斬新である」

だった。当時の人は、もちろん科学技術の粋を集めて、50mに達しようかという、巨大神殿を建てたのだろう。そこには、知恵と技術の結晶がつぎ込まれたことだろう。

それらをどのように復元するのか、あるいはその様な巨大な木の建物を作ることが可能だったのかと言うことを検証する番組である。

もう10年も前の作品なので、出てくるコンピュータが凄い。

Macintoshが、classic?と思えるような、モノクロの時代。カラークラシックでもない。モノクロ。いつの時代だ。

医者になった95年当時。まだまだMac派ばかりだった。当時もClassicを使っている医師はいたが、2000年前後はどうなのだろう?いつ撮影したVTRなのだろうか。驚いた。

アポロに積んでいったコンピュータは(といえるかどうかも分からないような代物)、今では何の役にも立たないだろうが、かといって月に行ってもう一回帰ってこられるかというと、、、難しいかな?

話がずれる。

何もない時代、身の回りの物をどのように使うかをあれこれ思い巡らしながら、試行錯誤して技術が培われてきたのだろう。紙や鉛筆があったのかどうか。もちろんDVDやCDなど記録媒体もない。技術の伝承は、体で覚えることだっただろう。

その様なものの中から、大事なもの、大切な物を残し、余計な物をそぎとしていくったのだから”斬新”で無いはずがない。漢方薬の聖典である、傷寒論を見ても無駄がない。私の文章は無駄が多い。

そこに美しさや、斬新さんを感じ取ることが出来るのだろう。

昔のことに身近に触れることが出来る人たちにとっては、当たり前のことなのだろうが、その言葉を放映しようとした編集者や、私のような人間からすると、とても含蓄のある言葉であった。

昔の方が、進んでいた、なんてことにならないように努力はしなければならないが、心も体も感性が鈍ってしまった状態では、廃れていくのは必定かもしれない。

幸田露伴・文父娘のような感性の持ち主になってみたいと思うが、私の力量では無理だろう。